ネットの常識,世間の常識

 
 世間的にはプログラマはキモイのだろうか。ま,それはいい。ヲタクきもーい,とか言ってりゃいい。15年前,パソコン通信や普及し始めのインターネットを使ってるヤツはキモがられた。当時はキモイじゃなくてキショいだったかな?それが今じゃケータイでブログとメールが一般的。おまえら,それインターネットだぜ。ちょっと前までキモがられてたのと同じヤツだ。知ってたか?
 
 世間的にはコンピュータは家電だ。iPad の売れ方を見ればよーーーっくわかる。あれはコンピュータとしてではなく,家電として売れたんだ。Windowsが普及したのも,コンピュータを専門家の道具から一般の家電製品まで落とし込んだからだ。
 インターネットってものにしたってそうだ。最初はほとんどテキストで研究者が中心になって使ってた。そこにWindows。俺はオプションだったプロトコルをインストールして,ブラウザはネットスケープ2。IEなんてまだ使い物にならなかった時代,質問は堅っ苦しいニューズグループ。タコは叩かれて揉まれて大事にされて育った。
 それが今じゃ猫も杓子もインターネット。技術的背景も歴史も知らない異文化人が流入した。そう,一般人だ。
 そうなるとインターネットのルールも変わる。調べて調べてわからないときに,何がわからないか何を調べたか何をしたかを添えて質問するなんてルールは崩されて,初心者のとにかくなんだかわからないというエスパー質問があふれかえる。
 技術者や技術者肌なやつらはどんどん隅に追いやられていく。そうなると新しいルールが幅を利かせてくる。世間ってやつだ。
 
 世間のルールとインターネットのルールは違う。でも同じ。
 
 世間,つまり一般人がインターネットを眺めるとき,それは世間のルールで眺めたインターネットだ。俺たちが眺めるインターネットとは違う角度で見ている。
 一般人ってやつは横暴だ。口をあけておいしいネタが落ちてくるのを待っている。ちょっと新しいものを与えてやると,次は次はとギャーギャーわめく。少しでも気に入らなければ吐いて捨てる。そこにエンジニアがどれだけ心血を注いだかなんて関係ない。もうインターネットはギークやオタクたちのものじゃない。
 一線を超えたギーク喝采を浴びる。それは商業的に成功してはじめてそうなる。技術や知識が賞賛されているのではないことに注意すべきだ。一般人が賞賛するのは「一般的に成功したとされる状態」だ。それは金持ちになること。
 
 くだらない世間のルールは自分中心だ。あくまでも利己的なものだ。ギークやオタクは違う。利他的でアウトプットしてはじめて賞賛される。金持ちが賞賛されるんじゃない。彼の成し得た成果物が賞賛される。成果物を売って金持ちになることはどうでもいいことだ。
 
 ああ,もどかしい。
 
 言葉をうまく選ぶ必要がある。
 
 インターネットの常識ってやつは二重の階層を持っている。一つは,俺たちエンジニア,ギーク,オタクの言う常識だ。もう一つは,世間の,一般人の,ギャルやチャラ男の,ヲッサンやオバハンの言うところの常識だ。それは重なって層をなしていて交わっていない。
 
 もともと,インターネットの常識は俺たちの常識だった。俺たちだけしか居なかったからだ。
 そこに異文化が入り込んだ。違う奴らだ。あいつらは強欲でわがままで,理性より本能で行動する。ギークが生み出してぴかぴかに磨き上げたものをあっさり取り上げてかみついたりひっぱったりふりまわしたりしてめちゃくちゃにしてしまう。犬や猫とたいして変わらない。いや,愛らしさが無い分たちが悪いか。
 
 バイクを考えてみよう。
 原付でいい。成人ならたいてい免許を取っていて,買えば乗れる。免許証持ってる奴ほとんどいないだろ?
 とりあえず免許はみんなあるという前提でいく。誰でも買えば乗れる便利な乗り物,原付のスクーターを想像してくれ。
 俺たちは原付をどう考えるか?
 燃費よく走ろう。ボアアップしてパワーアップできるかな?それともタイヤを変えてグリップよくしようか。ブレーキの感覚を自分にあわせよう。ちょっとステッカー貼ってみようか。ウインカー取り替えてみようか。
 エンジニア的に発想したら,カスタマイズやチューンアップして自分好みにして走ることになる。
 じゃあ世間ってやつは?
 ・・・アクセルひねって走る。以上。
 
 世間にとってコンピュータは家電だ。家電だから,スイッチポンで動く範囲のことしかわからない。
 それ以外の範囲はわからないんだ。
 
 わからないことが起きたら?
 
 俺たちは何かが起きたら自分で調べる。
 世間はとりあえずショップに持っていって「修理に出す」
 
 わからないことは理解されていないこと。
 理解されていないってことは知らないのと同じ。
 知らない事を,当然そうだって主張したって通じない。
 
 俺たちの常識ってやつは通じないんだ。
 
 都合の悪いことに,たいていのことは世間ってやつが基準で動く。
 
 世間のルールをこっちが知るしかない。そして,それに合わせるしかない。世間ってやつは多数派だ。それが民主主義のコストだ。エンジニアは日陰に入った。
 
 有名なコピペがそのまま当てはまる。男はギーク,女は世間だ。


女『車のエンジンがかからないの…』
男『あらら?バッテリーかな?ライトは点く?』
女『昨日まではちゃんと動いてたのに。なんでいきなり動かなくなっちゃうんだろう。』
男『トラブルって怖いよね。で、バッテリーかどうか知りたいんだけどライトは点く?』
女『今日は○○まで行かなきゃならないから車使えないと困るのに』
男『それは困ったね。どう?ライトは点く?』
女『前に乗ってた車はこんな事無かったのに。こんなのに買い替えなきゃよかった。』
男『…ライトは点く?点かない?』
女『○時に約束だからまだ時間あるけどこのままじゃ困る。』
男『そうだね。で、ライトはどうかな?点くかな?』
女『え?ごめんよく聞こえなかった』
男『あ、えーと、、ライトは点くかな?』
女『何で?』
男『あ、えーと、エンジン掛からないんだよね?バッテリーがあがってるかも知れないから』
女『何の?』
男『え?』
女『ん?』
男『車のバッテリーがあがってるかどうか知りたいから、ライト点けてみてくれないかな?』
女『別にいいけど。でもバッテリーあがってたらライト点かないよね?』
男『いや、だから。それを知りたいからライト点けてみて欲しいんだけど。』
女『もしかしてちょっと怒ってる?』
男『いや別に怒ってはないけど?』
女『怒ってるじゃん。何で怒ってるの?』
男『だから怒ってないです』
女『何か悪いこと言いました?言ってくれれば謝りますけど?』
男『大丈夫だから。怒ってないから。大丈夫、大丈夫だから』
女『何が大丈夫なの?』
男『バッテリーの話だったよね?』
女『車でしょ?』
男『ああそう車の話だった』
女『もう、男って人の話聞かないんだから』
男『ごめん、ごめん。で、ライト点く?』
女『やっぱ怒ってんじゃん』
男『怒ってないってば』
女『絶対怒ってる。何カリカリしてるの? 人が大変な時に!』
男『いや、俺はただライトが付くかどうかを…』
女『話を逸らさないで! ライトがどうこうじゃなくて今あなたの話をしてるの!』
 世間てのは自分勝手だ。知らない事には興味が無いし,関係ないと思っている。ロジカルじゃないんだ。そもそもわからないし,知ろうとしないし,むしろ積極的に距離を置く。何故って?そんなロジカルに語れるものじゃない。俺たちとは違う。
 だから,俺たちが当たり前だと思うことが,世間じゃ当たり前じゃない。エンジンがかからないとき,俺たちは原因を調べる。何故って?それがトラブルシューティングだからだ。当然のことだ。でも世間はそうじゃない。世間のトラブルシューティングは「誰かにアウトソースすること」だ。いや少し違うな。正確には「投げ出す」ことだ。
 
 岡崎市立中央図書館事件。
 あれもそうだ。
 世間の知らない「クローラ」がやってきた。クローラなんてどこにでもいるのを知っている奴にとってはどうってことのないものだ。
 ところが,トラブルが起きた。サーバが弱すぎてね。
 俺たちならトラブルシューティングをする。エラーメッセージとアクセスログを読んで何が起きたかを調べ,効果的に対策を取る。そうして,あたりまえの日常に戻っていく。
 ところが世間は違う。トラブルが起きたら「投げ出す」。
 だから図書館は警察に言った。「何か起きてる」と。
 三菱電機インフォメーションサービスは何もしなかった。コイツも「世間」様ってわけだ。MDISはエンジニアじゃないね。
 で,警察も残念ながら世間様なわけで。
 世間様ルールでいくと,業務妨害だそうで。
 
 
 
 感覚が違うんだ。
 俺たちはロジカルに考える。公開情報を収集することに躊躇しない。そこにあるものを利用するのに何で許可がいるんだ?店頭で配ってるチラシを何店か回って集めて特売セールで効率よく野菜を買うのと何もかわらないことを,電子データに対しても気軽にやる。
 ところが世間ってやつは違う。コンピュータは家電だからその中で何が起きているかは知らなくていいことになる。だから知らない,知らないことは知ろうとしない,だからわからない。ずっとわからないまま。
 だから,公開情報が店頭のチラシだと思わない。「俺の家電でやってることだから俺のものだ」と思う。ロジカルじゃないね。論拠がおかしいんだから。
 
 だからクローラが怖い。大企業のクローラなら相手が有名だから知ってる,知ってる事はわかってる,だから怖くない。個人のクローラは相手がわからないから怖い。
 わからないから投げ出す。
 
 投げ出したままじゃ解決しないからおおごとになる。
 
 俺たちの常識とは別の常識がある。
 どうやらその「別の常識」ってやつが世間様らしい。
 
 俺たちの常識はたいてい通じない。そのことを知っておく必要がある。
 相手の常識に合わせて翻訳して伝えないといけない。ロジカルじゃなく,感覚に訴えるように。
 特に日本人はディスカッションやディベートに慣れてない。ロジカルに話しても,ロジカルでない人は理解できない。感覚的じゃないからだ。直感的じゃないからだ。
 世間様は俺たちに合わせてくれないが,俺たちは世間様に合わせてやる努力をしないといけない。
 
 嫌な時代が来たもんだな。