岡崎市立図書館事件について

 
 法的にどうこうとか技術的にどうこうっていう検証はいろいろなされているので,今回はあくまでも俺の感じたことを中心に。
 
 まず事件のあらましとしては,岡崎市の図書館が公開している蔵書検索システムが使いにくいってんで,個人的に新着蔵書リストを作って手元で便利に使いたい,っていうニーズを満たすために,図書館サイトをクロールしたら,図書館サイトがガンガン落ちて最終的に逮捕された事件なのね。
 で,技術的にはクロールに問題は無くて,図書館側のシステムがあんまりにもタコだったのね。
 で,タコだったからゆるめのクロールにすら耐えられなくてガッツンガッツン止まった,と。
 止まったって言っても実はちょっと待てば復活した可能性が高いらしいんだけどね。
 で,止まったときに運悪く他の利用者がいて,「使えねーよ」とクレームがついた。で,再起動したら治った。まあ治るわな,リソースを一時的に食いつぶしたせいで止まってたわけだから。
 この再起動の手間がかかったのが,業務妨害だ,つって被害届に繋がって,最終的にクロールした人が逮捕されたわけ。
 
 これ,俺から見たらすごく不公平だなあと思ったのね。
 
 警察が言うには「弱者保護最優先」。これはこれで言いたいことはわからなくはないんだけどね。
 弱者保護最優先って言ってもさ。
 ちょっとアンフェアだよね。
 
 サーバ公開してる側にはどんなアクセスが来るか予測して充分な性能で公開することを求めてないわけ。
 だって,今回みたいにゆるめのクロールで落ちても被害届出せば保護されるんだから。
 逆に利用者はサーバがタコかもしれないって予測して利用しなきゃいけないわけ。でなきゃ逮捕されるかもしれない。
 すんごく不公平だよな。
 
 インターネット上のノードはそれぞれフラットな立場であって,別にどこかに責任が集中するような構造じゃない。もちろん個人情報とか集積したらその情報の運用に責任は発生するけどさ,それはサーバの運用じゃなくて情報の運用の話なわけ。
 サーバはポンコツでもいい,利用者はそのポンコツがどれだけポンコツか想定しなきゃならない,そんな話は通じてたまるかと思う。
 
 サーバがコケないようにするための努力を,どうして鯖缶じゃなくて利用者がやらなきゃいけないんだ。
 
 百万歩譲ってもし利用者側がサーバの都合にあわせて利用しなきゃいけないとするなら,サーバ側はあらかじめ「ウチはこれだけポンコツなんで」と表明しておくべきじゃないのかね?
 
 インターネットの文化として,サーバもクライアントも実はインターネット上のノードとして平等だ,というのがある。クラサバみたいに不平等な作りじゃない。言葉の上でサーバとかクライアントとか言ってるけど,実態はそれぞれノードとして平等だ。そこんとこ勘違いしてるんじゃないのかな。
 
 被害届出したのもおかしければ警察が逮捕にまで踏み切ったのもおかしい。そもそも被害届を出せる案件でもなければ,警察はこの程度の常識をもとに「こんなの刑事事件にならないよ」と見切るべきだった。
 
 でも,古い考え方で利用者に責任を押し付けてしまった。
 
 そこんとこの不公平感が拭えない。この事件はとっても不公平で,その一点において,今後の日本の ICT 技術の発展に対して妨げとなる可能性がある。
 インターネット技術を古いクラサバの考え方に縛り付けかねないからだ。
 
 技術的な話以前に,文化的におかしな結論を出されてしまったことで,とてもよくない結果になってしまったという感想。