「だろう」と「かもしれない」

 
 自動車教習所で(たぶん)聞かされるんじゃないかな、という小話に「だろう運転」「かもしれない運転」というのがある。知ってるかな?たぶん全国共通だと思うんだけどちょっと自信ない。
 それはこんな話。
 
 たとえば、信号の無い横断歩道で子供がいる。そのとき。
 
 「きっとクルマが行き過ぎるまで待ってくれる【だろう】」と予測して運転するか、
 「もしかして急に飛び出してくる【かもしれない】」と予測して運転するか。
 
 安全運転はどちら?
 
 
 だろう運転は言ってみれば、自分の行動に関する判断を相手に委ねてしまっている行動パターン。相手が○○してくれる【だろう】という期待が成就する前提での行動。
 かもしれない運転は、自分の行動に関する判断を自分で行う行動パターン。相手が○○してくれない【かもしれない】という、悪い結果を前提にそれを回避する行動。
 
 いやもちろん言葉を入れ替えれば「飛び出してくる【だろう】」「飛び出してこない【かもしれない】」とか言えるんだけどね('A`)
 どちらかといえば、「相手が自分の期待した通りに行動する」ことを前提にするのが【だろう】で、「相手が自分にとって不都合な行動をとる」ことを前提にするのが【かもしれない】、と表現したほうが、もともとの「教習所で聞かされる小話」の意図に沿うかな。
 
 でだ。
 
 バナー隠しってのは、「攻撃者が見逃してくれる【だろう】」という、だろう運転なのよね。少なくとも元ネタの記事ではそう。見逃されなくても大丈夫なくらいの対処ができてて、つまりバナーを隠さなくても問題ない状態でなら、最後の安心材料に使えばいい。どこかから攻撃される「かもしれない運転」で運用が回っているなら、バナーが出ていようが隠れていようが関係ないので一度書き換えたコンフィグをわざわざ戻してバナー出す理由も無い。その程度のものでしかないのです。
 
 でも、「見逃してくれる【だろう】」という前提での対処ってのは、セキュリティ対策じゃないよね。リスクを予見して対策をとるセキュリティ対策ってのは、「かもしれない運転」じゃないと。