「無断リンク・無断フォロー」を認めよう,という話

 
 ぷりどうぐさんの「「無断リンク・無断フォロー禁止!」を認めよう、という話。」
 というエントリへのカウンター。
 
 「無断リンクされるのは嫌だし,無断フォローされたくない。そういうことを見知らぬ人に考慮してもらいたい」って考え方を訪問者に強制するのはやめようよという話。そういう人がいても,それも一つの考え方と認めてそっとページを閉じるのがいいんじゃないかな,と。嫌がってみてもリンクする人はするし,「でも嫌なものは嫌」と主張してもインターネットですし。
 

「嫌だからリンクされたくない」という主張が相手に届かない理由。

 
 それはあなたが「ポジティブな方の出会いだけ期待している」から。新しい出会いが欲しいから情報を公開する,でも面倒な人とは関わりたくない。甘い考えだし,新しい出会いが全て心地よいとは限らないのに。
 そう,「嫌な人とは関わりたくないってのは甘い考え」。だって僕らの実生活がそうだもん。仕事先にはイヤな上司がいるし,学校には嫌いなアイツがいる。インターネットだけ特別じゃない,ってのは実生活と同じ。
 例えば実生活でやろうと思えば「そこらへんの人を手当たり次第に捕まえて自分の考えを熱く語れます」よね。選挙カーとかやってるし。けど相手が嫌がるだろうからやらない。これがリアルの考え方。だからネットでも「無断リンクは禁止ったら禁止!って主張することもできる,けど相手が嫌がるだろうからやらない」となって欲しい。相手に自分の考えを熱く語ったとしても,それはキャッチセールスと同じだと思う。
 ※リアルで自重できてネットでできないのは,リアルと違って相手から「何言ってんのコイツ」と白い目で見られてもコメントされるまで気付かないこと,画面の向こうが別世界に思えるからだと思います。



 で,これを踏まえて「それでも無断リンクや無断フォローを当然の権利のように思ってるやつは許せん」と思ってしまうならしょうがないけど,行き過ぎた行動をすると今度は指を刺されて笑いものになる。
 その結果が痛いヤツとしての晒し上げや魚拓を経由したコメント,あちこちでの言及に繋がる。コメントを閉鎖してトラックバックも受け付けないブログなんて,昔のテキストサイトと変わらない。「本来なら双方向にやりとりできる WEB2.0 以降の高い自由度を,わざわざ MOSAIC の時代に引き戻してしまっている」。そうでなくてもクローラ拒否や検索避けをすると,新しい出会いがほとんどなくなる。
 Twitter も同じで,無断フォロー禁止,無断リプライ禁止って主張しても@は飛んでくるし,技術的には WEB2.0 以降の考え方だ。もしかしてそれもイヤ?

  • ユーザー「無断リプライ禁止!イヤだったらイヤ!」
  • 運営「じゃあ別にテキストサイトでやってくれてもいいですよ。使いたい人だけ使ってください」

みたいな。これで文句の言いようが無いんだよね。無断リプライ禁止派も,イヤなら使わなきゃいいじゃない派もどっちの主張も受け入れてるから。けどやっぱつまんないでしょ。ほとんどの人が Tweet して交流できるほうがいいでしょ。
 ということで,WEB の自由度をわざわざ下げたりしないように振る舞いたいなあと思っています。
 ※ twitter創業者の考え方やtwitterのシェアから見て、twitterが利用者を追放したりテキストサイトが再流行したりということは考えにくい。みんなを変えるのではなくまず自分が変わってみよう。
 

どういうことかというと

 
 上のセクションまででカウンターは終りなんだけど,簡単に解説しておいたほうがよさそうなので。
 
 まず,インターネット上で自分の占有空間はありません。これが基本です。公開した情報というのは,線路脇の立て看板のように「誰でも読める状態」にあります。誰でも読める状態にあるということは,誰でも感想を言えるということですし,誰もが「あそこに看板があるよ」と話せるということです。
 決して誰も知らない地下組織のようなことはないのです。
 
 インターネットというより,WWW は基本的に無断リンクと言及で成り立ちます。ディープリンクに関しては URL の変更などに対お言うするためできるだけトップページにお願いしますというのは意味がわかりますが,とにかく無断リンクはイヤだ,と叫んでみたところでそんな非常識は通りません。
 あなたは道に飛び出して「無断で家の前を通るなあああああ!」などと叫んだりしないでしょう。天に向かって「無断でゼンリンの地図に載せるなああああああああ!」などと叫んだりはしないでしょう。町内案内看板を蹴り倒したりはしないでしょう。それらは全て「あなたの家への無断リンク」です。
 
 現実世界でも,隠れて行動したいときは隠れます。隠れる努力をします。WWW でも同じです。あなたが無断リンクされたくないなら,リンクを拒否するよう技術的に対応すべきです。他人がどうしてあなたの願いを聞き届けなければならないのでしょうか?あなたの願いを聞き届けてもらいたいのに,「気軽にリンク張りたい」という願いは聞き入れないのは不公平でしょう?
 
 もうそろそろ WWW がオープンな世界だということを受け入れればどうでしょうか。
 様々な考え方の人が接続していて,様々な言論が飛び交っています。そのうち自分の心地よいものだけが欲しいと言いながら,そうする努力を全くしないというのは,甘えです。驕りです。
 自分はこうしてほしい,ではなく,自分はこうしたい。そう考えましょう。
 
 自分が欲しい状態は,自分で作り出さなければなりません。
 それが嫌なら,すでにある環境のうち自分の思いに近いものを選ぶしかありません。
 それが mixi で「マイミクまで」の公開なら,そうすればよいでしょう。テキストサイトで満たされるなら,そうすればよいでしょう。コメントを閉じてトラックバックを拒否した blog でよければ,そうすればよいでしょう。
 あなたが好きなようにするのと同じで,みんなそれぞれ好きなようにしようとしています。
 あなたのルールだけがルールではありません。それぞれの考え方を認め尊重しなければなりません。
 
 地図にも無い町でひっそり暮らしたいというなら,そういう場所に行くしかないように,WWW でも当然のように,知られたくないなら知られないようにしなければならないのです。