小泉総理は一貫して靖国参拝していた

 
 でゅらはんさんが詳細に追跡してくだり、トラックバックしてくださった。
 
 氏が追跡してくれた各資料を見ると、確かに首相は初当選以来ずっと継続して終戦記念日靖国神社にお参りしていたと言ってもいいだろう。
 特に注目しておきたいのが、共同通信が2001年に行った「靖国神社参拝問題」という特集の一節だ。これは小泉総理が首相に就任して最初の靖国参拝を取り上げたものだ。
 小泉内閣は平成13年(2001年)4/26 に成立している。その年の 8/13 に、総理として五年ぶりに参拝したことを取り上げた記事で、共同通信は次のように述べている。


 首相は初当選以来ほぼ毎年、終戦記念日靖国神社に参拝してきた。自民党総裁選以来の「参拝公約」は首相の自然な思いの表れだった。


 恐らくその通りだろう。おなじ記事には特攻隊員を描いた映画を見て「当時十六、七歳だった(特攻隊の)若者がこれだけのことを考えているんだよなあ」と感慨にふける首相の様子を伝えている。
 これまで首相が繰り返してきた「不戦の誓い」とあわせて読めば、「こんな特攻しなきゃならないような戦争はもう二度としません」という意味だと理解できる。国民が戦争で苦しむ姿の記録や物語に涙を流せる指導者が戦没者に頭を下げ、国家の代表者として「不戦の誓い」を口にする。それでもまだ足りないというのか。
 
 だが、首相は形の上であっても特定アジアに配慮した。終戦記念日を避けた首相として最初の参拝、二度目は 4/21、三度目と四度目は一月だ。初詣も同然。そして、今回は秋の例大祭
 一国の首相が、己の心情を曲げて譲歩しているのが明らかではないか。それでもまだ足りないというのか。
 
 中曽根康弘は在任中毎年のように終戦記念日に参拝したではないか。
 
 
 朝日新聞船橋陽一は、韓国の中央日報のインタビューに答えてこう言っている。

彼は首相になる前には靖国へ行っていない。しかし2001年4月、自民党総裁選挙のとき、首相になれば靖国神社を参拝すると公約した。そしてその約束を守ろうとしているのだと思う。その理由は2001年1月、彼が鹿児島県の神風特攻隊記念館に行ったことから始まっている。彼はそこで特攻隊員たちの遺物を見て涙を流し感傷的になった


 
 
 お前ら朝日新聞が情報を歪めて伝えているから問題になるんだろうが。
 自分の国のまともな情報をわざわざ断片的にかつウソを交えて伝えるだけでなく、歪めているのは朝日新聞コラムニスト船橋洋一貴様自身だろうが。
 
 
 面白い記事がある。
 小泉首相は首相に着任してから参拝を始めたというデマを飛ばし、首相の参拝の意義を矮小化したエズラ・ウォールと船橋洋一は99年に対談している。

 船橋氏は、99年12月号の「中央公論」誌上でも、エズラ・ヴ
ォーゲルとともに秋山昌廣氏と対談しているが(奇しくも「シンボ
ルとしての台湾海峡」という椎名素夫氏の記事も同じ号に掲載され
ている)、上の記述に続けて次のようにも指摘している。
http://sv3.inacs.jp/bn/?2002050062847990017054.xp010617


 
 さらに、立命館アジア太平洋大学客員教授として二人ともアジア太平洋学部に在席している。(http://www.ritsumei.ac.jp/mng/gl/koho/datarits/data040824/9.pdf
 
 
 中央公論でデマを飛ばした人中央日報でデマを飛ばした人の間にリンクがある。偶然の一致だろうか。
 
 産経新聞12/2付朝刊 読者投稿欄にこんな投稿が載ったという。併合時代を経験した韓国のおじいさんの言葉を聞いた人の投稿だ。
 引用しておこう。
"併合時代"の話を聞き感動  会社経営 辻本貴一 63
韓国・ソウルに月に二回ほど出張します。日本のメディアの過敏な報道のため身構えて韓国に出張しますが、韓国人と接するたびに、みなさん優しくて親切で当初のイメージとあまりにもかけ離れているのにびっくりしてしまいます。

ある韓国人の自宅へ食事に招かれたとき、その人のお母さん(75歳から80歳ぐらい)から韓国併合時代の話を聞いて、目からウロコが落ちました。

「日本の統治時代は生活が安定し、お互い親戚同士のような付き合いをしていた」
「特に学校の日本人先生には本当によくしていただいた。 先生が日本に帰るとき親も泣いて見送った」
「貧しくて授業料が払えない生徒からはお金を取らなかった」
「子供を学校に行かさない親には先生が説得に行った」
「誰もが教育を受けられるように学校をいっぱいつくった」
「学校では日本語を強制するのではなく、むしろ積極的にハングルを教わった」

お母さんの話を聞いて、感動で涙が止まりませんでした。戦後、韓国政府のとった反日教育と、それに共同歩調をとった日本の一部の人たちの罪は本当に大きいと思いました。



 麻生外務大臣の逸話にも似た話がある。
中国や韓国と外交をするうえで、歴史問題をどうすればいいと思うか。
【麻生氏】
歴史認識を一緒にしようといっても、隣の国と一緒になるわけがない。たとえば朝鮮人創氏改名の話。日本が満州国をやる前に創氏改名の話が出たことは一回もない。しかし、当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと名前のところにキンとかアンとか書いてあり、「朝鮮人だな」と言われた。仕事がしにくかった。だから名字をくれ、といったのがそもそもの始まりだ。これを韓国でやりあったら灰皿が飛んできた。

そのときに「若い者じゃ話にならない、年寄りを呼んでこい」と言ったら、おじいさんが現れて「あなたのおっしゃる通りです」と。
(後略)
http://www.tamanegiya.com/asou15.5.31.html



 
 日本は中韓のためにあるのではない。無茶な要求ははねつけて構わないだろう。それができる「普通の国」になってほしい。
 米国に次いで国連負担金を払い、しかも滞納知らず。なのに敵国条項に縛られている日本と、わずかな負担金もまともに払えずODAに依存しながら核開発と宇宙開発を行い核ミサイルを日本に向け、しかも国体が変わったのに常任理事国に居座りつづける中国。そして、文化を剽窃し感謝を忘れ恩を仇で返しつづける韓国、北朝鮮
 かの国々の国民それぞれが悪人というわけではない。しかし、国同士対峙するとき、特定アジアの国々は明らかに日本の国益に反する国々であるということを忘れてはならない。
 
 戦後、韓国政府のとった反日教育と、それに共同歩調をとった日本の一部の人たちの罪は本当に大きい。
 いや、反日教育をしてきたのは韓国だけではない。中国、北朝鮮、そして日本においてさえも一部では反日教育が施されている。
 
 今でも。